家づくり西方設計:建築形態デザインを求めて
2021-10-17T15:49:37+09:00
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家づくり
Excite Blog
大野勝彦 M1
http://nisi93.exblog.jp/29717004/
2021-10-17T12:06:00+09:00
2021-10-17T15:49:37+09:00
2021-10-17T12:06:08+09:00
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建築形態デザインを求めて
未だに脳の大きな部分を占めるのは、
この東孝光設計のハングル文字が刻まれた家(赤塚邸)の居間の写真と、
大野勝彦のM1である。
と述べた。
今日は、
「大野勝彦 M1」について
大野勝彦と積水化学工業のM1の本格的開発は1969年、
東孝光の赤塚邸の竣工も1969年である。
背景にその時代の大きなエネルギーがある。
建築知識ビルダーズの最新号46号の特別企画が「大野勝彦 M1」である。
1969年が今である。
特別企画が「大野勝彦 M1」は4部から成り立っている。
・[工業化住宅の原点 セキスイハイムM1]
26歳の若き発想
無目的な箱 が生み出した住宅の形
監修:松村秀一 取材・文:加藤泰郎 取材協力:セクスイハイム、布野修司
・「論考 建築師大野勝彦の「住宅=町づくり」」
文:松村秀一
・時間が教えてくれること 林泰義 富岡玲子
文:植本絵美
・訪問記 林・富岡さんの家を考える
文:野沢正光
29ページのどれも魅力ある特集である。
その中の松村秀一先生の「論考 建築師大野勝彦の「住宅=町づくり」」を紹介する。
大野勝彦はM1の後に、地域住宅工房とそのネットワークの概念をつくりあげた。
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生活が見える建築写真
http://nisi93.exblog.jp/29715161/
2021-10-16T11:51:00+09:00
2021-10-16T23:34:01+09:00
2021-10-15T16:11:45+09:00
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建築形態デザインを求めて
東孝光設計のハングル文字が刻まれた家の居間の写真である。
テーブルの上に雑然と本などが置かれた写真であった。
撮影は陰影が強い豪腕な鈴木悠の写真だったと思う。
下の写真ではないが、若干の雰囲気は知れる。
建築写真はそれが作品であるかのように撮り、
実物の建築と違う綺麗なフォトジェニックなものが多い。
鈴木悠のこれらの建築写真は建築空間の骨格を撮り、
そこに生活の場を取り込んでいる。
未だに脳の大きな部分を占めるのは、
この東孝光設計のハングル文字が刻まれた家(赤塚邸)の居間の写真と、
大野勝彦のM1である。
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雪が無いアトリエ:雪と形態
http://nisi93.exblog.jp/29418821/
2021-02-21T14:44:00+09:00
2021-10-15T15:41:20+09:00
2021-02-21T14:46:08+09:00
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建築形態デザインを求めて
今日は能代以外の3組の方々の訪問を受けたが、
雪がないのに驚いていた。
雪国では、屋根の形が雪で決まる。
雪が多いか少ないか。
雪を屋根の上に乗せ雪下ろしをするか。
雪を落雪させるか。
堆雪空間があるか。
積雪荷重が2mでは屋根断熱+吹き抜けがあると耐震等級3が難しい。
これも又、自然との対話である。
熱の移動、水蒸気の移動を考えるのも自然との物理的対話である。
自然との対話、人との対話で型が形成される。
下の2枚目の写真は県南の依頼主からの雪の状況の写真。
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インターナショナルスタイルを見直す
http://nisi93.exblog.jp/29413404/
2021-02-17T13:56:00+09:00
2021-02-18T18:13:03+09:00
2021-02-17T00:02:06+09:00
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建築形態デザインを求めて
建築の分野の本の読書は少ない。
影響されるのを嫌ってのこともあるのだが、
他に読みたい分野の本がいっぱいあり、それらが優先されるからだ。
しかし最近は、
自分の建築的思考を現代建築の歴史の上になぞってみようと思っている。
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バウハウスとH・マイヤー
http://nisi93.exblog.jp/29404123/
2021-02-09T14:39:00+09:00
2021-02-10T11:00:51+09:00
2021-02-09T14:39:05+09:00
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建築形態デザインを求めて
暗中模索している。
グロピウスなどのバウハウスは多大な影響力だったが、
バウハウスにはハンネス・マイヤーもいた。
グロピウスと全く正反対の思考だった。
両者の違いに興味がある。
同じモダニストでもハンネス・マイヤーはマルキスト・モダニズムである。
「私は決して一人ではデザインしない。
バウハウスは今やプロレタリアートの要望に応え、
デザインの標準化や日常生活に共される名もない量産性を目指すのだ。
今日のバウハウスはプロレタリアート化の否定できない度合いを反映している。」
この本「ポストヒューマニズムの建築」は少し前に手に入れたが、新刊での発売はなく古書で手に入れた。
今は新刊も古書でも売られていない。
ワンチャンスでこの本と出会えた。
本は捨てないで手間でも古書に回してほしい。
訳者の思想に興味をもち他の本を読みたいと思った。
「マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ」を古書で買った。
注文してまだ届いていないのは「建築とリアル」である。
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造形デザインを求めて:増沢洵3 簡素・簡潔・清楚
http://nisi93.exblog.jp/29325612/
2020-12-11T11:16:00+09:00
2020-12-11T11:45:05+09:00
2020-12-11T11:16:18+09:00
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造型デザインを求めて
簡素・簡潔・清楚な空間づくりの指向性・嗜好性があり、
とても参考になります。
三一書房の「現代日本建築家全集」の2冊の古書を買った。
13号には増沢洵、他が載っている。
9号は白井晟一である。
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造形デザインを求めて:増沢洵2 簡素・簡潔・清楚
http://nisi93.exblog.jp/29324435/
2020-12-10T11:35:00+09:00
2020-12-11T11:45:54+09:00
2020-12-10T11:35:52+09:00
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造型デザインを求めて
増沢洵の住宅が好みだ。
設計事務所に入ってからの20代、自分でやりだした30代に、
箱根の別荘の空間や木架構や仕上げを良く参考にしていた。
「木造の詳細 1 構造編」彰国社刊
所内に見えなかったので再度、古書で手に入れた。
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造型デザインを求めて:暗さは明るさをつくる
http://nisi93.exblog.jp/29306366/
2020-12-03T22:57:00+09:00
2020-12-04T11:30:02+09:00
2020-12-03T22:57:50+09:00
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造型デザインを求めて
見学したい方は西方設計の下記までご連絡下さい。
見学会
暗さは明るさを求め、明るさは暗さを求める。
日本海(裏日本)側は、冬の暗くて憂鬱な鉛色の重い曇天の日々だが、ライトシェリフで室内の奥まで明るさをつくる。
沖縄は、眩しい明るさに、花ブロックや長い庇や福木で暗さ(影)をつくる。
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造形デザインを求めて:野辺ZOOM飲み25日-2
http://nisi93.exblog.jp/29236335/
2020-10-27T09:57:00+09:00
2020-10-27T10:11:50+09:00
2020-10-27T09:57:29+09:00
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造型デザインを求めて
昨日に25日-1を紹介した。
今日は25日-2である。
松村先生が江口禎の「建築生産の工業化」を話題にしたが、
翌日に、それについての資料がメールで送られてきた。
ありがたい。
松村先生からのメールの本文の一部です。
「昨日ご紹介した江口先生の「建築生産の工業化」の定義、
日建連の機関誌ACeに隔月で連載している拙稿の今年2月号で全文掲載の後半部分です)していますので、
ご参考まで。
(https://www.nikkenren.com/publication/ACe/ce/ace2002/pdf/p22-23_202002.pdf の後半部分です)
メールに対応した私の文。
「建築生産の工業化」の概念定義はの文章を、
プリントして第一、第二、第三と腑分けして読み込みました。
聞くばかりでは流れるのですが、こうしてみると頭に叩き込まれます。
そして、最後に、
「今日の日本においても、変わらず十分な意味を持っている。」
大きい問題です。
このテーマは、今回欠席のあすなろの関尾さんに聞いて欲しかった。
また、これから伸びるであろう天野建築の天野さんも知って欲しい。
パネル、大型パネルの立ち位置も知れる。
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造形デザインを求めて:野辺ZOOM飲み25日−1
http://nisi93.exblog.jp/29235299/
2020-10-26T14:57:00+09:00
2020-10-27T01:12:04+09:00
2020-10-26T14:57:14+09:00
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造型デザインを求めて
3時間である。
常連は野辺公一さん、岩下繁昭先生、松村秀一先生、西方
時に鈴木亨さん、相模稔さん、関尾英隆さん、藤澤好一先生
の参加メンバーである。
事前にテーマを決めていなく、
雑談から入り、
興味が盛り上がる所で深く探る。
昨日の25日は、
雑談は岩下先生の畑作業から始まる。
かなり経ってから、
私が興味がある所の「池辺陽と内田祥哉の論争」について、
内田の直系の松村秀一先生に聞いた。
この「池辺陽と内田祥哉の論争」はリプランの三木さんのブログに書かれており、興味をもっていた。
三木さんはインタビューで鎌田紀彦先生や難波和彦先生から聞いたことで、
「内田祥哉ー池辺陽の関係は相当の対立関係としてあったとされる。今日の住宅研究者間では論争といえるような「対立」というものは、あまり想定しにくいけれど、そういう熱い論争の時代もあったのだと。」
松村秀一先生は全くそうの通りだが、
もっと違いはあった。
ふたりの性格的な違いから大きく、
池辺陽は原理主義であったが、酒を飲むと楽しい。
「酒を飲むと楽しい」の更なる補足は岩下先生で、池辺陽と広瀬鎌二から教わっている。
松村先生と岩下先生からは、
池辺陽を知りたければ難波和彦著「戦後モダニズム建築の極北 池辺陽私論」読めと言われたが、
すでに読んでいる。
もう一度読んでみよう。
日本の現代建築史の中で戦後の一連の最小限住宅は大切な内容と思う。
その中での最初の事例は池辺陽の「立体最小限住宅」1950年である。
増沢洵の「最小限住居」は1951年。
私にとって増沢洵は影響された最重要の建築家だが、
松村先生も岩下先生もよく知っていないようだ。
歴史は重要で、建築史は身近な問題である。
現代建築史の流れの中での自分の立ち位置の確認が必要である。
過去の現代の建築に影響され自分がいる。
これからの先もその流れにある。
自分がつくる建築に責任がある。
今回のZOOM飲みで野辺さんたちに聞いてみた。
35年前ほどであろうか、大野勝彦は「群居」を中心に、
「地域住宅工房のネットワーク」を論じ、活動していた。
それから35年ほどが経ち、ネットを使った工務店や設計師のネットワークが構築されている。
更にユーチューブである。
今の工務店は◯◯塾で受け入りに設計を学び、◯◯塾で受け入りに構造を学び、◯◯塾で受け入りに温熱を学ぶ。
何かが違う、違いはなんであろうかと、で、野辺さんたちに聞いた。
野辺さんは即座に、
型紙住宅建築、文体真似住宅建築であると。
なるほど。
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造形デザインを求めて:増沢洵1 簡素で簡潔 住宅建築創刊第1号
http://nisi93.exblog.jp/29220800/
2020-10-15T15:40:00+09:00
2020-12-11T11:44:33+09:00
2020-10-15T15:40:41+09:00
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造型デザインを求めて
今から45年前、私は24歳だった。
若い頃は種々の建築家に憧れたが、学生の後半から設計事務所の実務に入ると増沢洵と大野勝彦の影響は特に大きかった。
増沢洵は作家的なオドロオドロしい恣意的さがなく、簡素で簡潔な様が好きだった。
しかし増沢や木造の、特に架構の資料・情報が少なく、増沢の住宅が特集されている住宅建築創刊第1号は有難かった。
その頃は現代木造の矩形や詳細図が載っている本や雑誌はとても少なかった。
創刊第1号には木材の矩形や詳細図、断面表まで載っている。
写真は現代木構造の架構が良く知れる。
住宅建築創刊第1号は表表紙と裏表紙が取れボロボロになっている。
部材表のページは手垢で黄ばんでいる。
恣意さ、他意さがなく簡素で簡潔な空間。これが増沢洵の魅力であり、私の造形デザインの原点である。
増沢洵の戦後最小限住宅(9坪)。
この住宅は良く知られている。
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基本的な建築の要素に還元して簡素に シンプルを追い求めている表現
http://nisi93.exblog.jp/29219005/
2020-10-14T06:54:00+09:00
2020-10-14T09:33:15+09:00
2020-10-14T06:54:55+09:00
nisi93jp
造型デザインを求めて
「西方さんのデザイン」論については、いろいろなコトバをもらっていて、わたしも考え続けてきて、今回のいわばピュアな自邸という表現を見ていて、言ってみれば、基本的な建築の要素に還元して簡素にシンプルを追い求めている表現というように言えるかと思い至った。これまで「見えにくかった」熱環境というものを、人間居住性という観点から根源的に見つめて、その最適解をシンプルに求めることを一種の建築デザイン、表現の方法論にしたいと考えたのではないか。「なるべく簡素にしたい」というコトバは、原理に対してシンプルである「かたち」を作る決意のように聞こえた。
きょうは、自邸でのPV一体型の屋根や、土間エアコンのために開発した基礎のことを図表表現としてまとめてみました。
こういったものづくりの志向性は、よくあるような厭世的で禁欲的な原理主義ミニマリズムではなく、むしろ、人間へのやわらかさに満ちたシンプル主義のように感じる。このような人間環境デザインの発意には、そういう部分がある。たっぷりの陽光を得たい、寒さからひとを解放したいという簡素な志向。一方で、東京発のなんでも極限化する原理主義のようなものについて、西方さんとは否定的意見をともにすることが多い。「極限化することで利益を得る不純さのあらわれ」じゃないかみたいな。
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モダニズムはどこへ行った 3
http://nisi93.exblog.jp/29150541/
2020-08-24T00:47:00+09:00
2020-08-29T08:15:52+09:00
2020-08-24T00:41:09+09:00
nisi93jp
造型デザインを求めて
1.産業革命の影響
2.戦前(第一次世界大戦)のモダニズム。
産業革命の成果でモダニズムが成り立つ。
3.戦後の最小限住宅
4.住宅金融公庫の普及で大多数の庶民が注文戸建住宅を持つ。
5.高断熱・高気密住宅工法(同時代)。
庶民の家で良好な室内環境・地球環境が維持できる工法。
と考えている。
5.の高断熱・高気密工法は幸いに私と同時代に歩んでいる。
私の立ち位置である。
2.と3.を踏まえて、ここを真面目に考えよう。
変革を稔りあるものとできるか。
日本のモダニズムはバウハウスのグロピウスの流れ、ウィーン分離派のロースとウィトゲンシュタインの流れ、コルビジェの流れの影響がある。
ウィーン分離派とコルビジェは芸術的志向だが、バウハウスの源となっているのはその時代に新しく登場した工業的素材や生産方式や構法である。それが造型・デザインになっている。
前回の「モダニズムはどこへ行った 2」では、
そのバウハウスの影響を受けたモダニズムが、戦後に現在に正当に受け継がれていない。
日本の戦前で興隆したモダニズム建築は、戦中、戦後、現在ではどこに行ってしまったのだろうの疑問から、
探し求めて、お盆中に写真の3冊の本を読んだ。
だった、その続きである。
建築家は明治の西欧化から登場した新しい歴史なのだが、保守本流は、雇われ建築家ジョサイア・コンドル→辰野金吾→伊東忠太→岸田日出刀と続く。しかし、伊東忠太→岸田日出刀の間には大きなギャップがある。岸田には同時代に興ったモダニズムへの理解があるが、伊東忠太にはない。
彼らの葛藤は、現在も上野の森に建ち堂々たる様を見せている帝冠様式の国立東京博物館(旧東京帝室博物館)の1930年の競技設計であった。二人とも審査員で、岸田はモダニズムを推すが伊東忠太をはじめ他の審査員は保守であった。
1等に選ばれたのは渡辺仁の日本趣味・帝冠様式だった。
この競技設計の前にモダニズム建築が登場している。
モダニズム建築関連では、
1920年に日本分離派会(過去から分離したものの新しさは少なく過度期)、
1927年に日本インターナショナル建築会が関西に誕生した。
外国人会員ではヴァルター・グロピウス、ブルーノ・タウト、ペーター・ベーレンス。
当然ながら日本インターナショナル建築会が審査方針に反対し、応募拒否をしている。
日本でモダニズム建築が本格的に建てられたのは1930年代になってからである。
旧東京帝室博物館の競技設計の審査方式に抵抗したのは日本インターナショナル建築会だけではなく、当時のモダニストたちであり、前川國男や蔵田周忠であった。落選を承知の上で競技設計に参加している。
当時のモダニズム建築は
1933年 吉田鉄郎設計 東京郵便局旧局舎(モダニズムへの橋渡し)
1934年 山脇巌・三岸好太郎設計 三岸好太郎アトリエ
1935年 土浦亀城設計 自邸
続く
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モダニズムはどこへ行った 2
http://nisi93.exblog.jp/29149837/
2020-08-23T16:51:00+09:00
2020-08-23T17:47:34+09:00
2020-08-23T16:51:21+09:00
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造型デザインを求めて
種々の要素から形態になるが、その造型・デザインは造り手の個人的背景から生まれる。
自然の成り立ちの中での一点でしかない、恣意な個人はあまりにも脆弱である。
物作りとしての脆弱から脱却して少しでも確固たる物になりたい。
それには、個人の力だけではなく、歴史・社会を知りその蓄積を個人に付け足していく。
建築の歴史で、それまでとは異次元な変化は産業革命の影響と戦前(第一次世界大戦)のモダニズムである。産業革命の成果でモダニズムが成り立っている。
日本のモダニズムはバウハウスのグロピウスの流れ、ウィーン分離派のロースとウィトゲンシュタインの流れ、コルビジェの流れの影響がある。
ウィーン分離派とコルビジェは芸術的志向だが、バウハウスの源となっているのはその時代に新しく登場した工業的素材や生産方式や構法である。それが造型・デザインになっている。
私は私個人の感性で、好みの建築家をバラバラに意識してきた。
吉田鉄郎、土浦亀城、山脇巌、蔵田周忠、増沢洵、松村正恒などである。
山脇巌、蔵田周忠、土浦亀城はバウハウスの影響をもろに受けている。松村正恒は土浦亀城の事務所出身で土浦の影響を遠ざけようとするものの日土小学校はバウハウスなモダニズムだ。
吉田鉄郎はバウハウスのちょっと前のモダニズム、増沢洵はレーモンドを通してのモダニズムである。
そのバウハウスの影響を受けたモダニズムが、戦後に現在に正当に受け継がれていない。
日本の戦前で興隆したモダニズム建築は、戦中、戦後、現在ではどこに行ってしまったのだろうの疑問から、
探し求めて、お盆中に写真の3冊の本を読んだ。
続き。
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モダニズムはどこへ行った 1
http://nisi93.exblog.jp/29145452/
2020-08-20T10:05:00+09:00
2020-08-23T17:35:44+09:00
2020-08-20T10:05:32+09:00
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造型デザインを求めて
戦中、戦後、現在ではどこに行ってしまったのだろうの疑問から、
お盆中に写真の3冊の本を読んだ。
それに関する文章を書いてBlogとFacebookにアップしたのだが、
編集しようとし、間違って削除してしまった。
残念。
これから二つの打ち合わせがあり、再度書く時間は夕方以降になる。
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