2008年 03月 10日
姪の披露宴はアールデコ |
1日に、姪の結婚式が門前仲町の由緒ある富岡八幡宮、披露宴が日本橋富沢町のオシャレなアールデコの建築の会場であった。対照的な場所の選択がとても素敵だ。
伝統の建物の富岡八幡宮からタクシーで移動したが、遠目で、アールデコと分かった。タクシーを降り見回すと、様式を真似た新しいビルでなく、本物だ。どうして近代ビルの谷間にこつ然とあるのだろうかと思った。
その建物が面する通りに、写真の「織物中央通り」の標識があった。
披露宴が始まり、何と、最初の新郎側の上司の挨拶の中にあった。
その投資関連の会社の上司は、10年前に、披露宴やパーティー会場に模様替えをしたく投資を受けたい相談が持ち込まれ、この建物を見に来たことがあると。
以前は銀行だったと。
なるほど、昭和初期の、繊維通りが景気が良い時に建てられた建物であったに違いない。上野駅もアールデコである。
アールデコのお洒落な外観。
室内も当然アールデコ。
展示されているアールデコの寄せ木細工の食器棚とガラス器。
食事はアールデコ風デザインの食器。料理の他、食器を見ていても楽しい。建物も食器もアールデコに徹し、オシャレさが心地良い。
ついでに調べると、
「日本橋富沢町は柳原土手下と並んで古着市の中心地だった。幕府は治安維持のため、密偵の情報網を作ねばならなかったので、盗賊の鳶沢某を逆利用するために古着問屋の元締めを許可した。元禄14年(1701)、鳶沢は仲間を集めて沼地を埋め立て造成し、古着市を開いたところ大いに賑わったので富沢に改名し、それが町名になったという。『江戸繁昌記』(天保3年(1832)刊)に「魚河岸に次ぐ繁昌ぶり」と書かれた。」
中央区郷土史同好会講演、手島 宗太郎 先生(郷土史研究家)http://homepage2.nifty.com/makibuchi-2/kyodoshi/69kai.html
アールデコと対照的な富岡八幡宮。
伝統の建物の富岡八幡宮からタクシーで移動したが、遠目で、アールデコと分かった。タクシーを降り見回すと、様式を真似た新しいビルでなく、本物だ。どうして近代ビルの谷間にこつ然とあるのだろうかと思った。
その建物が面する通りに、写真の「織物中央通り」の標識があった。
披露宴が始まり、何と、最初の新郎側の上司の挨拶の中にあった。
その投資関連の会社の上司は、10年前に、披露宴やパーティー会場に模様替えをしたく投資を受けたい相談が持ち込まれ、この建物を見に来たことがあると。
以前は銀行だったと。
なるほど、昭和初期の、繊維通りが景気が良い時に建てられた建物であったに違いない。上野駅もアールデコである。
「日本橋富沢町は柳原土手下と並んで古着市の中心地だった。幕府は治安維持のため、密偵の情報網を作ねばならなかったので、盗賊の鳶沢某を逆利用するために古着問屋の元締めを許可した。元禄14年(1701)、鳶沢は仲間を集めて沼地を埋め立て造成し、古着市を開いたところ大いに賑わったので富沢に改名し、それが町名になったという。『江戸繁昌記』(天保3年(1832)刊)に「魚河岸に次ぐ繁昌ぶり」と書かれた。」
中央区郷土史同好会講演、手島 宗太郎 先生(郷土史研究家)http://homepage2.nifty.com/makibuchi-2/kyodoshi/69kai.html
アールデコと対照的な富岡八幡宮。
by nisi93jp
| 2008-03-10 17:04
| 見学建築・歴史・他
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