2007年 11月 01日
強首温泉 樅峰苑 |
オプコードの野辺さんが羽柄材に関して取材したいということから、温泉好きな野辺さんなので、宿泊を強首温泉の樅峰苑にした。(10月30日)
これまでは海岸や山中の温泉だったが、筑波大の安藤邦國先生から樅峰苑の素晴らしさを聞いていたので、目新しく登録文化財の木造建築の樅峰苑を考えた。
樅峰苑は江戸時代には庄屋だった中世以来の旧家豪農の小山田家の経営。16代に至っている。
玄関土縁。
土縁。
4つの座敷の真ん中の柱を抜き、40畳の大広間となる。
この真ん中の柱を抜ける。
秋田天杉の床板の長さは8間=16.3m。
秋田における小山田家の歴史は、慶長7(1602)年、初代秋田藩主となる佐竹義宣公が常陸国水戸から出羽国秋田に移封された当時、藩主を慕って秋田の地に移った頃にさかのぼります。
当初は西木村小山田地区に居住していたものの、やがて開田や水運の便を考え当時の強首村に移住したものと伝えられています。
その後は、藩政前期(17世紀後半)頃から村の庄屋として、また、他領との境を守る拠人(こにん)として、当時の地域行政の中心的役割を果たすと共に、藩主や藩重役の領内巡視の際は御本陣を務めました。
竣工当時(大正6年)
以後、小山田家は強首田圃などの美田を開くなど地域一体の開発にも尽力し、明治期から昭和に至っては歴代当主がそれぞれ代議士や県議員を務め、国政や秋田県政にも参画。三百数十年におよぶ長い歴史は現在に受け継がれています。
これまでは海岸や山中の温泉だったが、筑波大の安藤邦國先生から樅峰苑の素晴らしさを聞いていたので、目新しく登録文化財の木造建築の樅峰苑を考えた。
樅峰苑は江戸時代には庄屋だった中世以来の旧家豪農の小山田家の経営。16代に至っている。
秋田における小山田家の歴史は、慶長7(1602)年、初代秋田藩主となる佐竹義宣公が常陸国水戸から出羽国秋田に移封された当時、藩主を慕って秋田の地に移った頃にさかのぼります。
当初は西木村小山田地区に居住していたものの、やがて開田や水運の便を考え当時の強首村に移住したものと伝えられています。
その後は、藩政前期(17世紀後半)頃から村の庄屋として、また、他領との境を守る拠人(こにん)として、当時の地域行政の中心的役割を果たすと共に、藩主や藩重役の領内巡視の際は御本陣を務めました。
竣工当時(大正6年)
以後、小山田家は強首田圃などの美田を開くなど地域一体の開発にも尽力し、明治期から昭和に至っては歴代当主がそれぞれ代議士や県議員を務め、国政や秋田県政にも参画。三百数十年におよぶ長い歴史は現在に受け継がれています。
by nisi93jp
| 2007-11-01 11:54
| 見学建築・歴史・他
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