2007年 06月 27日
東京・山梨出張 2:「ほうとう」を食べる |
翌日火曜日26日は山梨県立盲学校と山梨県立あけぼの医療福祉センターを見学した。
その時の昼食が「小作」の「ほうとう」だった。
暑い日で、ふーふー言いながらおいしく食べた。
説明によると、
「米飯がほとんど食べられなかった甲州の庶民にとって、ほうとうは最上の日常食。しかもそれは甘いカボチャが、入れば言うことなし。
「ほうとう」は「饂飩(はくたく)」の音便。
饂飩とは何か。食の部だけで475字もある大漢和辞典によると饂飩は「餅の類。うどん。・・・」とある。
饂飩が禅僧の手により中国から日本にもたらされ、ほうとうやうどんになったものである。
ほうとうという形は武田信玄が、野戦食として用い甲州独特のものであり甲州人の誇りの郷土料理である。」
岩手県北部の二戸に同じような食べ物の「ひっつみ」がある。「ほうとう」のように幅広うどん状でなく、小麦でつくり、京都の八つ橋の皮や餃子の皮のような形状である。
岩手県の南部氏の戦国時代の本拠地が二戸であった。南部氏は甲州武田氏の流れである事から「ほうとう」や「ひっつみ」は関連があるのかしれない。
その時の昼食が「小作」の「ほうとう」だった。
暑い日で、ふーふー言いながらおいしく食べた。
説明によると、
「米飯がほとんど食べられなかった甲州の庶民にとって、ほうとうは最上の日常食。しかもそれは甘いカボチャが、入れば言うことなし。
「ほうとう」は「饂飩(はくたく)」の音便。
饂飩とは何か。食の部だけで475字もある大漢和辞典によると饂飩は「餅の類。うどん。・・・」とある。
饂飩が禅僧の手により中国から日本にもたらされ、ほうとうやうどんになったものである。
ほうとうという形は武田信玄が、野戦食として用い甲州独特のものであり甲州人の誇りの郷土料理である。」
岩手県北部の二戸に同じような食べ物の「ひっつみ」がある。「ほうとう」のように幅広うどん状でなく、小麦でつくり、京都の八つ橋の皮や餃子の皮のような形状である。
岩手県の南部氏の戦国時代の本拠地が二戸であった。南部氏は甲州武田氏の流れである事から「ほうとう」や「ひっつみ」は関連があるのかしれない。
by nisi93jp
| 2007-06-27 16:55
| 見学建築・歴史・他
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