2007年 05月 02日
小さな民家1:宮本常一の「日本人の住い」 |
宮本常一の「日本人の住い 生きる場のかたちその変遷」を読んだ。
日本の伝統建築は素晴らしい、その中の人々の暮らしの場の伝統民家も素晴らしい。
それはそうなのだが、日本人の誰もがそうした伝統民家で生活してきたような錯覚に陥っている人が多い。
伝統民家は実際に経験しても写真を見ても素晴らしい。
それに対し、現在の家は陳腐だと。素晴らしい伝統の民家を建てようと住もうと。
素晴らしい伝統民家に主人として住んできた人たちは日本人の数パーセントに過ぎない。大多数の人たちの家は伝統ものではない。
大多数の人々の、視点が違うと、今も以前も陳腐な家と言われる標準な(小さな)家の実態と歴史を知りたい。
しかし、資料が限られている。それも、大多数の下級武士の小さな家は記録や実物が現存しているが、農民の家のは極めて少ない。
それで、頼り先は民俗学者の宮本常一だろうと思っていたが、タイムリーに今年の3月20日に「日本人の住い 生きる場のかたちその変遷」が出版された。
宮本常一は戦前からバブル期まで、自分の独自の視点と脚で全国をくまなく歩き記録している。宮本の好奇心の広さと深さ、速筆は多くの情報が記録されたが、空襲で失っているのは残念だ。
宮本が住いについて書いた文章は膨大な業績から見たら僅かだが、他に記録が少ない大多数の小さな農家についてふれているのは助かる。
「日本人の住い 生きる場のかたちその変遷」は二部構成。一部は、共同通信社から頼まれ、昭和43年に書かれた全国の地方紙に連載されたもの。二部は未完成のまま残された文章で、しかもこれまで未刊。
日本の伝統建築は素晴らしい、その中の人々の暮らしの場の伝統民家も素晴らしい。
それはそうなのだが、日本人の誰もがそうした伝統民家で生活してきたような錯覚に陥っている人が多い。
伝統民家は実際に経験しても写真を見ても素晴らしい。
それに対し、現在の家は陳腐だと。素晴らしい伝統の民家を建てようと住もうと。
素晴らしい伝統民家に主人として住んできた人たちは日本人の数パーセントに過ぎない。大多数の人たちの家は伝統ものではない。
大多数の人々の、視点が違うと、今も以前も陳腐な家と言われる標準な(小さな)家の実態と歴史を知りたい。
しかし、資料が限られている。それも、大多数の下級武士の小さな家は記録や実物が現存しているが、農民の家のは極めて少ない。
それで、頼り先は民俗学者の宮本常一だろうと思っていたが、タイムリーに今年の3月20日に「日本人の住い 生きる場のかたちその変遷」が出版された。
宮本常一は戦前からバブル期まで、自分の独自の視点と脚で全国をくまなく歩き記録している。宮本の好奇心の広さと深さ、速筆は多くの情報が記録されたが、空襲で失っているのは残念だ。
宮本が住いについて書いた文章は膨大な業績から見たら僅かだが、他に記録が少ない大多数の小さな農家についてふれているのは助かる。
「日本人の住い 生きる場のかたちその変遷」は二部構成。一部は、共同通信社から頼まれ、昭和43年に書かれた全国の地方紙に連載されたもの。二部は未完成のまま残された文章で、しかもこれまで未刊。
by nisi93jp
| 2007-05-02 09:33
| 研修・鑑賞・スタディ
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