2007年 03月 25日
母の一周忌 |
昨日は、親族の一同が集った、母の一周忌であった。
お坊さんに自宅に来て頂いて、仏前でお経を親族一同あげ、車で数分のお寺お経、そこから車でまた数分のお墓でお経をあげる。
お墓をつくった父の葬式の時は端で、その隣から空地であったが、お墓が10くらい増えている。
旧市街地と新市街地の間にあり、私のような核家族の2代目の檀家が増している。
お墓から、やはり車で数分の松風庵で会食、その後自宅に戻り懇親会。
戦後初代の核家族の両親は、無宗教ではないが宗教には無関心関心だった。仏壇、神棚、お墓などはなかった。
それでも父母の代は親戚の旧来の冠婚葬祭にでているからよいが、その子供たちの私たち核家族2代目は旧来の冠婚葬祭の儀式・様式から切れてしまっている。
親族が集るのは冠婚葬祭の時だけだが、それも段々少なくなっている。
儀式・葬式といえど、これでようやく親族(人間)関係を保っている。
こうした関係も増々少なくなり、人と人は孤立していくのだろうか。
お坊さんに自宅に来て頂いて、仏前でお経を親族一同あげ、車で数分のお寺お経、そこから車でまた数分のお墓でお経をあげる。
お墓をつくった父の葬式の時は端で、その隣から空地であったが、お墓が10くらい増えている。
旧市街地と新市街地の間にあり、私のような核家族の2代目の檀家が増している。
お墓から、やはり車で数分の松風庵で会食、その後自宅に戻り懇親会。
戦後初代の核家族の両親は、無宗教ではないが宗教には無関心関心だった。仏壇、神棚、お墓などはなかった。
それでも父母の代は親戚の旧来の冠婚葬祭にでているからよいが、その子供たちの私たち核家族2代目は旧来の冠婚葬祭の儀式・様式から切れてしまっている。
親族が集るのは冠婚葬祭の時だけだが、それも段々少なくなっている。
儀式・葬式といえど、これでようやく親族(人間)関係を保っている。
こうした関係も増々少なくなり、人と人は孤立していくのだろうか。
by nisi93jp
| 2007-03-25 09:43
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