2006年 07月 29日
白井晟一の試作小住宅(上野毛学舎)の解体 |
昨日午後5時から建築家協会秋田地域会の定例があった。今回の会員発表は湯沢の木曾さんであった。
青森の最近できた青木潤の美術館、安藤忠雄の芸術センター、かなり前の黒石の菊竹清訓の子供図書館、表参道ヒルズ、その付近と銀座のデザイナーズビルをスライドで紹介した。木曾さんは菊竹清訓の子供図書館がとても良かったと言っていた。私も随分と前に見たがそう思う。
何よりもビックリしたのは、白井晟一の試作小住宅のスライド写真であった。木曾さんのお父さんは大工で、戦後間もない頃の湯沢や稲住にある、白井が設計した家をつくったと聞いている。その時の青地に線や文字が白抜きの青焼き図面をもっている。
上野毛の試作小住宅は、湯沢のお医者さんが子供たちの勉学のため東京に建てたという。今ならマンションを買うのだろうが。
その試作小住宅が解体されるという。木曾さんにはそういった縁があるから内部まで見れ、写真を撮れた。うらやましい。これから見に行きたいがと聞いたら、もう解体中だときた。残念。白井の初期の住宅を見たかった。
木曾さんは、今、稲住温泉の離れを修復していて一杯で、もったいない事に、試作小住宅の解体保存まで手がまわらなかった。解体保存の仕事は白井晟一の30代の孫があたっている。解体したものは、再建の見通しはたっていないが湯沢に一時保存するそうだ。
これだけでもあり難い。
前川國男の戦中建てた木造自邸も軽井沢に保存され、その後、江戸東京たてもの博物館に再建され誰でもが見れるようになっている。ここは、とにかく居心地が良い。木造モダニズムのエッセンスが充満している。
白井の試作小住宅は1953年に建てられ、いろんな雑誌や本に数多く紹介されているが、「住宅建築」1996年11月号が求めやすく、試作小住宅だけで17ページ、「秋田・湯沢・秋ノ宮を訪ねて」が2ページ情報量と写真が多く参考になる。
それよりも木曾さんのフイルムスライド写真が空間を良く表している。私はデジカメで撮りデジタルプロジェクターだし、ほとんどの人がそうだ。スクリーンに映される空間の光はスクリーンの地の色でしかない。
木曾さんはアナログ写真と幻灯機のプロジェクターにこだわっている。
久し振りに幻灯機のプロジェクターで映されたフイルムスライド写真を見ると、柔らかい明暗な光が感じられ奥行きのある空間が再現され、空間を充分に味わう事ができる。
私は白井の戦後の初期の作品が好きで、試作小住宅にも強く影響を受けた。外観や内部の白井を通したモダン性である。この住宅の外観は文字通りのモダン性だ。雑誌の室内の写真を見てもそうだった。
しかし、木曾さんが撮った数多くの内部写真から判断するとは、外観ほどモダン性は感じられず、モダンの前の、ドイツの民家の室内空間の影響が強く残っている。戦前の中島邸とモダン数寄の中間からドイツの民家の室内空間よりだろうか。
私はこれまで白井の和風住宅はや建築は西欧の建築の防御のための強い壁のイメージの空間と思い、付け柱や梁は気にしていなかった。
しかし、「白井晟一空間読解 形式への違反」著:安原盛彦を読んでから試作小住宅の写真を見ると付柱や梁の行方が気になってしょうがない。
稲住温泉温泉のアプローチして直ぐの左側のホール棟は、現在は改造され当時の面影はないが、35年前の学生時代に見たホール棟はそのままだった。ここは外観や室内空間はドイツの民家の影響が色濃く残っていた。
蛇足だが、木曾さんの話では、稲住温泉に移築した旧秋ノ宮役場が卓球の福原愛の練習場となるという。
青森の最近できた青木潤の美術館、安藤忠雄の芸術センター、かなり前の黒石の菊竹清訓の子供図書館、表参道ヒルズ、その付近と銀座のデザイナーズビルをスライドで紹介した。木曾さんは菊竹清訓の子供図書館がとても良かったと言っていた。私も随分と前に見たがそう思う。
何よりもビックリしたのは、白井晟一の試作小住宅のスライド写真であった。木曾さんのお父さんは大工で、戦後間もない頃の湯沢や稲住にある、白井が設計した家をつくったと聞いている。その時の青地に線や文字が白抜きの青焼き図面をもっている。
上野毛の試作小住宅は、湯沢のお医者さんが子供たちの勉学のため東京に建てたという。今ならマンションを買うのだろうが。
その試作小住宅が解体されるという。木曾さんにはそういった縁があるから内部まで見れ、写真を撮れた。うらやましい。これから見に行きたいがと聞いたら、もう解体中だときた。残念。白井の初期の住宅を見たかった。
木曾さんは、今、稲住温泉の離れを修復していて一杯で、もったいない事に、試作小住宅の解体保存まで手がまわらなかった。解体保存の仕事は白井晟一の30代の孫があたっている。解体したものは、再建の見通しはたっていないが湯沢に一時保存するそうだ。
これだけでもあり難い。
前川國男の戦中建てた木造自邸も軽井沢に保存され、その後、江戸東京たてもの博物館に再建され誰でもが見れるようになっている。ここは、とにかく居心地が良い。木造モダニズムのエッセンスが充満している。
白井の試作小住宅は1953年に建てられ、いろんな雑誌や本に数多く紹介されているが、「住宅建築」1996年11月号が求めやすく、試作小住宅だけで17ページ、「秋田・湯沢・秋ノ宮を訪ねて」が2ページ情報量と写真が多く参考になる。
それよりも木曾さんのフイルムスライド写真が空間を良く表している。私はデジカメで撮りデジタルプロジェクターだし、ほとんどの人がそうだ。スクリーンに映される空間の光はスクリーンの地の色でしかない。
木曾さんはアナログ写真と幻灯機のプロジェクターにこだわっている。
久し振りに幻灯機のプロジェクターで映されたフイルムスライド写真を見ると、柔らかい明暗な光が感じられ奥行きのある空間が再現され、空間を充分に味わう事ができる。
私は白井の戦後の初期の作品が好きで、試作小住宅にも強く影響を受けた。外観や内部の白井を通したモダン性である。この住宅の外観は文字通りのモダン性だ。雑誌の室内の写真を見てもそうだった。
しかし、木曾さんが撮った数多くの内部写真から判断するとは、外観ほどモダン性は感じられず、モダンの前の、ドイツの民家の室内空間の影響が強く残っている。戦前の中島邸とモダン数寄の中間からドイツの民家の室内空間よりだろうか。
私はこれまで白井の和風住宅はや建築は西欧の建築の防御のための強い壁のイメージの空間と思い、付け柱や梁は気にしていなかった。
しかし、「白井晟一空間読解 形式への違反」著:安原盛彦を読んでから試作小住宅の写真を見ると付柱や梁の行方が気になってしょうがない。
稲住温泉温泉のアプローチして直ぐの左側のホール棟は、現在は改造され当時の面影はないが、35年前の学生時代に見たホール棟はそのままだった。ここは外観や室内空間はドイツの民家の影響が色濃く残っていた。
蛇足だが、木曾さんの話では、稲住温泉に移築した旧秋ノ宮役場が卓球の福原愛の練習場となるという。
by nisi93jp
| 2006-07-29 11:06
| 研修・鑑賞・スタディ
|
Trackback
|
Comments(0)