2020年 04月 23日
建築生産・品質を踏まえたデザイン1 |
いつもながら考えないようにしていながらデザインを考えている。
それは何か、社会を背景とした自分なりの考えをまとめてみたい。
自分の積み重ねの確認である。自分探しではない。
建築設計はものつくりで、端的に、視覚的な形=デザインになる。
形=デザインは自分の恣意的なものではなく自然(じねん)に生じ、自然(じねん)なものとありたいのだが、最終的には自分(恣意)である。
自然(じねん)な建築、建物になるには自分(恣意)的には限界がある。
自然(じねん)は後日に説明する。
自分(恣意)だけにはならないように、もまれてきた結果の歴史、時代の流れの因子を組み込む、馴染むようにしてきた。
しかし、今の時点、自分のものづくりの期間の短さでは、歴史、時代の流れは捉えどころがない。
社会も自分も変化している。
思考、視覚(形=デザイン)の立脚点を自我の外から眺めてみたい。
特にそう思ったのは、昨年に「つくられた桂離宮神話」著 井上章一を読んでからだ。
その「つくられた桂離宮神話」が本棚から探せなく、新たに注文して今日に届いた。よくあることだが、出てきた、それで同じ本が二冊ある写真だ。
私は恣意な建築にならないように、もまれてきた結果の歴史、時代の流れの因子を組み込む、馴染むようにしてきた。
その因子の一つが、建築生産とその一部分の現代の技術の高断熱・高気密工法である。
私はたまたま、自分の建築設計成長期と高断熱・高気密工法の成長期が同時代でシンクロしている。
それを因子として組み込んでいる。
時代の変化からみれば一瞬である。が、力、エネルギーである。これを大切にしてきた。
続く。
by nisi93jp
| 2020-04-23 01:11
| 研修・鑑賞・スタディ
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