2015年 11月 28日
映画「誰も知らない建築のはなし」 |
昨日27日の夜は映画の「誰も知らない建築のはなし」を映画館で見た。
レム・コールハースに言われたように社会性がなかったり哲学がないと、
磯崎も安藤も伊藤もいくら屁理屈をこねても、
みな泡が破れるように価値が少なくなったりなくなった。
しかし、ワンショットしかでなかったが、
竹山実の歌舞伎町の二番館と石山修のコルゲートチューブは大輪のバブル花火で見事だった。
割り切りさは時代のあだ花でありながら時代を超えている。
別な意味あいで、戦前の土浦亀城らなどのモダニズムや戦後の増沢洵らなどの最小限住宅などからの近代現代建築のメインストリートを物語として読みたい、見たい、知りたい。
上映が終わってから石山友美監督と小杉先生の対談「誰も知らない建築のはなし」の裏話が紹介されたが、
その内容と別に「誰も知らない建築のはなし」は海外の3人の建築家と日本の3人の建築家の
「クダまき」で「誰も知らなくてもよい建築のはなし」と思った。
盛岡の上映後に「田舎にはバブルがなかった、ーーーーー」との話が出たそうで、秋田も同様に思える。
しかしながら田舎は、地域は、その間に着実に育っている。
バブルに浮かれ弾けている時に、スイスの渓谷ではP・ズントーやその弟子たち、
オーストリアのフォアアールベルクではH・カフマンなどの流れは地域に根をはり、
しかも日本の田舎や地域に直接に影響を与えている。
by nisi93jp
| 2015-11-28 10:23
| 研修・鑑賞・スタディ
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