2014年 01月 11日
庄内の旅:新徴屋敷 |
昨秋の旅。
鶴岡市で映画村に行こうとして迷い込んだ所が、松ヶ丘開墾場跡だった。
その一角に下の写真の石置き屋根の小住宅があった。
ストイックで凛々しい。
下記の文章は松ヶ丘開墾場の HPカら転載。
庄内藩江戸取締の際、文久3年(1863)からその配下となった浪士組組織「新徴組」の人達が庄内に移住してきた明治3年(1870)、鶴岡城下大宝寺地内に藩が建てた百棟の住宅を「新徴屋敷」といいます。
そのうち約30棟が明治8〜9年に組小屋として松ヶ岡に移築され、やがて開墾士各戸の住宅としました。
創業115年を記念し開墾の歴史を物語る貴重な建物として、そのうちの一棟(匹田家住宅)が、松ヶ岡開墾場に移築復元されています。
創建年月:明治3年
構造 :石場建平家石置屋根寄棟造
建坪 :21.25坪
復元 :昭和61年10月
松ヶ岡開墾場は、明治維新に際し、庄内藩の武士達が刀や槍を鋤(すき)や鍬(くわ)に替え、荒野を開墾開拓し、論語を心の支えとし、養蚕業を興し、産業の振興に貢献した歴史の地です。
鶴岡市で映画村に行こうとして迷い込んだ所が、松ヶ丘開墾場跡だった。
その一角に下の写真の石置き屋根の小住宅があった。
ストイックで凛々しい。
下記の文章は松ヶ丘開墾場の HPカら転載。
庄内藩江戸取締の際、文久3年(1863)からその配下となった浪士組組織「新徴組」の人達が庄内に移住してきた明治3年(1870)、鶴岡城下大宝寺地内に藩が建てた百棟の住宅を「新徴屋敷」といいます。
そのうち約30棟が明治8〜9年に組小屋として松ヶ岡に移築され、やがて開墾士各戸の住宅としました。
創業115年を記念し開墾の歴史を物語る貴重な建物として、そのうちの一棟(匹田家住宅)が、松ヶ岡開墾場に移築復元されています。
創建年月:明治3年
構造 :石場建平家石置屋根寄棟造
建坪 :21.25坪
復元 :昭和61年10月
松ヶ岡開墾場は、明治維新に際し、庄内藩の武士達が刀や槍を鋤(すき)や鍬(くわ)に替え、荒野を開墾開拓し、論語を心の支えとし、養蚕業を興し、産業の振興に貢献した歴史の地です。
by nisi93jp
| 2014-01-11 12:04
| 見学建築・歴史・他
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