2012年 01月 31日
長崎御用銅と能代表 |
昨日の秋田県文化財保護協会能代支部の研究発表会の続きで、
長崎御用胴と能代湊ー尾去沢銅山と御胴問屋・清水家別家の存在 ー発表者 木村精幸。
江戸時代の長崎御用銅とは中国やオランダとの貿易決済に使われた銅のことで、全国の銅山から集められた銅を大坂吹屋(製錬業者)が集荷した。
その銅はインドまで行っている。
その長崎御用銅の77%が能代の港から大阪まで海運され、精錬されたご遠くはインドまで使われた。
内訳は阿仁銅山が53%、当時は南部藩だった尾去沢銅山が24%だった。
能代の湊から北前船で運ばれたものは鉱山物が50.3%、米が35.5%、干鰯が3.8%だが木材が2%と少ない。
木材は運河と八郎潟経由で土崎湊から海運された学説がある。
長崎御用胴と能代湊ー尾去沢銅山と御胴問屋・清水家別家の存在 ー発表者 木村精幸。
江戸時代の長崎御用銅とは中国やオランダとの貿易決済に使われた銅のことで、全国の銅山から集められた銅を大坂吹屋(製錬業者)が集荷した。
その銅はインドまで行っている。
内訳は阿仁銅山が53%、当時は南部藩だった尾去沢銅山が24%だった。
能代の湊から北前船で運ばれたものは鉱山物が50.3%、米が35.5%、干鰯が3.8%だが木材が2%と少ない。
木材は運河と八郎潟経由で土崎湊から海運された学説がある。
by nisi93jp
| 2012-01-31 13:59
| 研修・鑑賞・スタディ
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