2011年 11月 06日
バイオクライマティック建築シンポ・札幌小樽8:祝津茨木家中出張番屋2:ドラマ(2) |
以下の文章は「小樽祝津ニシン番屋(茨木家中出張番屋)再生物語 茨木家中出張番屋ドラマ(1)と(2)」にあります。
20100522 茨木家中出張番屋ドラマ(2)
平成22年5月22日、第2回祝津・にしん祭り当日、東京から、
山田保行・しずかご夫妻
にわざわざ御来樽いただきました。
上写真最前列、真ん中のご夫妻です。
この山田保行氏が、前々記事「20100520 茨木家中出張番屋ドラマ(1)」で紹介した、茨木家中出張番屋から発見された棟札に記載されていた、
「秋田県山本郡常磐村 大工棟梁 山田留三」
氏のお孫さんにあたる。
茨木家中出張番屋修復工事の設計監理・山之内建築研究所代表によって、3つの偶然が重なり織り紡がれて、�がったのだ。
その山田氏がわざわざ小樽来訪のために自ら冊子を作って来て頂き、一冊頂いた。
「留三と娘たちの小樽」
だ。 それによると、
(留三氏)の大正四年生まれの長女の出生地は、北海道高島郡高島村大字祝津141番地、大正六年生まれの次女の出生地は、同村18番地、三女は大正九年小樽市梅が枝町52番地、4女は大正一二年小樽市末広町13番地にそれぞれ誕生され、およそ一〇年余りの歳月を留三氏ご一家は小樽で暮らし、大正一二年九月関東大震災で仕事場を東京に移されたとのこと。
棟札の茨木家中出張番屋上棟の年月日、明治四五年六月五日は実にリアリティをもつわけです。
しかし、まさか棟札から当時の棟梁のお孫さんまで繋がっていく、ドラマです。
茨木家本宅(元場)前で、この繋がりを形づくってくれた山之内建築研究所・山之内裕一代表と山田保行氏ご夫妻の記念撮影。
御夫婦は小樽に連泊し、長女・次女・三女・四女の叔母の住所を探索し、その場所を発見され、帰京されました。
御来樽に本当に感謝です。
20100522 茨木家中出張番屋ドラマ(2)
平成22年5月22日、第2回祝津・にしん祭り当日、東京から、
山田保行・しずかご夫妻
にわざわざ御来樽いただきました。
上写真最前列、真ん中のご夫妻です。
この山田保行氏が、前々記事「20100520 茨木家中出張番屋ドラマ(1)」で紹介した、茨木家中出張番屋から発見された棟札に記載されていた、
「秋田県山本郡常磐村 大工棟梁 山田留三」
氏のお孫さんにあたる。
茨木家中出張番屋修復工事の設計監理・山之内建築研究所代表によって、3つの偶然が重なり織り紡がれて、�がったのだ。
その山田氏がわざわざ小樽来訪のために自ら冊子を作って来て頂き、一冊頂いた。
「留三と娘たちの小樽」
だ。 それによると、
(留三氏)の大正四年生まれの長女の出生地は、北海道高島郡高島村大字祝津141番地、大正六年生まれの次女の出生地は、同村18番地、三女は大正九年小樽市梅が枝町52番地、4女は大正一二年小樽市末広町13番地にそれぞれ誕生され、およそ一〇年余りの歳月を留三氏ご一家は小樽で暮らし、大正一二年九月関東大震災で仕事場を東京に移されたとのこと。
棟札の茨木家中出張番屋上棟の年月日、明治四五年六月五日は実にリアリティをもつわけです。
しかし、まさか棟札から当時の棟梁のお孫さんまで繋がっていく、ドラマです。
茨木家本宅(元場)前で、この繋がりを形づくってくれた山之内建築研究所・山之内裕一代表と山田保行氏ご夫妻の記念撮影。
御夫婦は小樽に連泊し、長女・次女・三女・四女の叔母の住所を探索し、その場所を発見され、帰京されました。
御来樽に本当に感謝です。
by nisi93jp
| 2011-11-06 16:26
| 見学建築・歴史・他
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