2011年 05月 04日
東日本大震災2:南三陸町2 |
4月29日の南三陸町。
未だ、瓦礫の山だった。燻っている臭いなど色々な臭いと埃がまい、ゴーグルとマスクが欲しかった。
自衛隊などが瓦礫の下の遺体を捜査した後なのだろう、民間の重機で瓦礫を片付けていた。
南三陸町の海岸地帯を後にし、山間部の津波の被害を受けた集落に入ると自衛隊がまさに遺体の捜査中だった。
木造は基礎と大引が残っていた。壁や屋根は土台もろとも破壊され流され瓦礫となっている。
テレビの映像や写真に良くでている鉄筋コンクリート造の4階建てと5階建ての公立志津川病院。4階部分まで津波の被害を受けている。
主な道路は車が通れるように瓦礫が片付けられている。
海岸地帯の木造家屋は基礎などを残して姿形がないが、少し高台の家屋は津波の破壊力が減じたので窓ガラスは破壊されているものの躯体と屋根は残っている。 対岸から見た南三陸町。
高台の住宅は津波の被害を受けていない。
未だ、瓦礫の山だった。燻っている臭いなど色々な臭いと埃がまい、ゴーグルとマスクが欲しかった。
南三陸町の海岸地帯を後にし、山間部の津波の被害を受けた集落に入ると自衛隊がまさに遺体の捜査中だった。
主な道路は車が通れるように瓦礫が片付けられている。
海岸地帯の木造家屋は基礎などを残して姿形がないが、少し高台の家屋は津波の破壊力が減じたので窓ガラスは破壊されているものの躯体と屋根は残っている。
by nisi93jp
| 2011-05-04 16:53
| 東日本大震災
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