2011年 04月 19日
海抜と地震と津波 |
ネットから、
岩手県宮古市重茂の姉吉地区の「此処より下に家を建てるな」の石碑。

「過去2度の大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市重茂の姉吉地区では、11世帯約30人の集落の建物がすべて無事だった。守ったのは、先人が石碑に刻んだ教えだった。昭和三陸地震(1933年)の大津波後、集落から漁港へ約100メートル下った道端に石碑は建てられた。
「高き住居は児孫に和楽(高い所にある家は子孫を幸せにする)」から始まり、集落が受けた津波被害をつづる。明治三陸地震(1896年)の津波では住民2 人を残して壊滅。昭和三陸の大津波も、4人を残し住民をのみ込んだ。「小さい地震でも津波だと思って逃げろ」。
昭和の大津波の生き残りで、義母ツルさん (91)の言葉を、川端トシさん(64)は心に刻んでいた。海岸で集落の仲間とワカメの収穫を準備中、地震が来た。「津波だと思い、急いで家に逃げた」 津波の遡上高が観測史上最大規模の38・9メートルに達した。
しかし押し寄せた津波は石碑の手前で止まり、石碑より上にある集落は無傷だった。」
能代市の現状の海面の高さ。赤丸が西方設計のアトリエ。

海面が30m上がった能代市、ほとんどが海面下だ。赤丸の西方設計のアトリエは大丈夫だ。
海面が50mも大丈夫だが、60m以上は水没する。
19年前にアトリエを建てたのだが、27年前の日本海中部沖地震の液状化と津波の経験から高台のこの土地を選んだ。縄文土器が出る所で、近くには縄文人の人骨が初めて発掘された遺跡や旧石器時代の遺跡もある。

岩手県宮古市重茂の姉吉地区の「此処より下に家を建てるな」の石碑。

「高き住居は児孫に和楽(高い所にある家は子孫を幸せにする)」から始まり、集落が受けた津波被害をつづる。明治三陸地震(1896年)の津波では住民2 人を残して壊滅。昭和三陸の大津波も、4人を残し住民をのみ込んだ。「小さい地震でも津波だと思って逃げろ」。
昭和の大津波の生き残りで、義母ツルさん (91)の言葉を、川端トシさん(64)は心に刻んでいた。海岸で集落の仲間とワカメの収穫を準備中、地震が来た。「津波だと思い、急いで家に逃げた」 津波の遡上高が観測史上最大規模の38・9メートルに達した。
しかし押し寄せた津波は石碑の手前で止まり、石碑より上にある集落は無傷だった。」
能代市の現状の海面の高さ。赤丸が西方設計のアトリエ。

海面が50mも大丈夫だが、60m以上は水没する。
19年前にアトリエを建てたのだが、27年前の日本海中部沖地震の液状化と津波の経験から高台のこの土地を選んだ。縄文土器が出る所で、近くには縄文人の人骨が初めて発掘された遺跡や旧石器時代の遺跡もある。

by nisi93jp
| 2011-04-19 09:56
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