2010年 06月 10日
恩師の葬儀 |
今日は午前10時から鷹巣の北秋田総合高校の県専門検査官の検査で、終わると共に能代に帰り、午後1時からの中学時代のクラスと恩師の葬儀に出た。大任の弔辞の役目だった。新聞の死亡欄には2人の友人代表の内の一人、弔辞は教え子代表だった。私は涙もろく、両親の葬儀の喪主挨拶も嗚咽状態だった。父親のそんな葬儀を見ている恩師がそれでも弔辞の指示なのだからするしかないのだ。初めに大泣きしてそれから入ろうと考えた。
二十数年前になるのか、喪主の恩師の息子さんが早稲田大学の学生の頃にフリージャズを演奏していると恩師が話され、フリージャズを知っているかと聞かれた。それはもう、私はフリージャズ大好きなのだ。その頃に息子さんと会っていて、世界には極上の音楽が一杯あるぞとの意味合いで小泉文夫の民族音楽の本を差し上げた。それからの二十数年の現在は韓国の音楽を出版しているそうだ。
法事の時に喪主の息子さんとの話題だった。
私の中学時代は恩師が撮った法隆寺や薬師寺などの写真をパネルに仕立て上げ学校の廊下に一杯に展示していた。そこで建築への指向が増幅したのは確かだ。
二十数年前になるのか、喪主の恩師の息子さんが早稲田大学の学生の頃にフリージャズを演奏していると恩師が話され、フリージャズを知っているかと聞かれた。それはもう、私はフリージャズ大好きなのだ。その頃に息子さんと会っていて、世界には極上の音楽が一杯あるぞとの意味合いで小泉文夫の民族音楽の本を差し上げた。それからの二十数年の現在は韓国の音楽を出版しているそうだ。
法事の時に喪主の息子さんとの話題だった。
私の中学時代は恩師が撮った法隆寺や薬師寺などの写真をパネルに仕立て上げ学校の廊下に一杯に展示していた。そこで建築への指向が増幅したのは確かだ。
by nisi93jp
| 2010-06-10 19:07
| 四季・地域色・食べ物
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