家づくり西方設計:東日本大震災
2011-06-28T09:57:39+09:00
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家づくり
Excite Blog
能代発戦後復興住宅
http://nisi93.exblog.jp/15027545/
2011-06-28T09:32:00+09:00
2011-06-28T09:45:52+09:00
2011-06-28T09:32:46+09:00
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東日本大震災
この組立住宅の生産工場は戦中に木造貨物船をつくっていた松下造船で、建築の技術でなく造船の技術であった。
しかし、今の能代の木材産業は全く元気がなく、3.11震災に供給できていない。
一棟が3,000坪の復興組み立て住宅をつくっていた工場。]]>
6月11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡 11:住田町
http://nisi93.exblog.jp/15006114/
2011-06-24T10:21:00+09:00
2011-06-28T09:57:39+09:00
2011-06-24T10:21:04+09:00
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東日本大震災
大船渡からの帰り道の隣町の住田町の避難者受け応急住宅。
住田町は山間部の森林地帯なので東日本大震災の津波の被害はなかったが、
隣接の沿岸地域の被害者を受け入れるのにいち早く応急住宅を建設した。
住田町の地産地消の木造応急住宅。
道路の標識に大船渡17km釜石55kmとある。
軽量鉄骨系のプレファブ応急住宅でない、こうした地産地消の応急住宅があちこちで構築されている。]]>
6月11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡 10:大船渡
http://nisi93.exblog.jp/14972668/
2011-06-18T09:39:00+09:00
2011-06-28T09:57:01+09:00
2011-06-18T09:39:05+09:00
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東日本大震災
大船渡市は能代市と銀河連邦サミットで友好関係が有り、能代市役所や市民ボランティアがまとまって活動を定期的に行っている。
港は商業港で大きなセメント工場やプライウッド工場などがある。
その低地の港湾と周囲の商業地や住宅地が津波の被害を大きく受けている。陸前高田と違うのは、高台にも市街地が広がっているので、被害地は市街地の1/3〜1/2ほどか。
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6月11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡 9:陸前高田4
http://nisi93.exblog.jp/14963297/
2011-06-16T16:01:00+09:00
2011-06-28T09:56:25+09:00
2011-06-16T16:01:48+09:00
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東日本大震災
しかし山積みされた瓦礫は、運搬し分別し木材は燃料に、他のものはそれぞれに処理できれば良いのだが、ヘドロの重金属がしみ込み処理ができる所は限られている。
道路向かいには津波の被害にあった車も山積みにされているが、やはり重金属の問題で処理が困難とリサイクル専門業者が手を出せないでいる。
押し流された瓦礫を丹念に探し物をしているのはボランテイア活動か。]]>
6月11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡 8:陸前高田3
http://nisi93.exblog.jp/14958273/
2011-06-15T17:28:00+09:00
2011-06-28T09:55:54+09:00
2011-06-15T17:28:40+09:00
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東日本大震災
震災から3ヶ月経っているものの、瓦礫を運び出し堆積地に集めまとめているがその先きの処理の行き場がない。
ダンプが頻繁に瓦礫を運び出している。
海側の有名な高田松原は全滅し、奇跡的に一本の松の木のみが残ったのを新聞で知った。
広さで日本一の能代の広大な砂防林(風の松原)は中世以前は森、中世から江戸時代前期まで砂丘だった記録が残されている。巨大津波に曝されたのだろうか。
江戸時代の中期以降に膨大なエネルギーとお金をつぎ込んだ植林で今日の風の松原がある。
建物はキャピタルホテル1000。かなり前にここで研修会の講師をした事がある。
水面は敷地が80cmほど沈下し水没している。
水面は敷地が沈下し水没している。]]>
11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡7:陸前高田2
http://nisi93.exblog.jp/14956398/
2011-06-15T09:03:00+09:00
2011-06-28T09:55:21+09:00
2011-06-15T09:03:33+09:00
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東日本大震災
気仙中学校、手前は瓦礫の山。]]>
11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡6:陸前高田1
http://nisi93.exblog.jp/14956292/
2011-06-15T08:37:00+09:00
2011-06-28T09:54:46+09:00
2011-06-15T08:37:24+09:00
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東日本大震災
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11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡5:気仙沼市唐桑町港と竹の袖周辺2
http://nisi93.exblog.jp/14951018/
2011-06-14T10:20:00+09:00
2011-06-28T09:54:08+09:00
2011-06-14T10:20:11+09:00
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東日本大震災
下の写真の右手の高台に、その下の写真の賀茂神社がある。賀茂神社。床ギリギリの津波か。床下の床束や貫が新しい木材に置き換わっている。応急住宅。高台で身近な場所に応急住宅がある。
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11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡4:気仙沼市唐桑町港と竹の袖周辺1
http://nisi93.exblog.jp/14945731/
2011-06-13T11:59:00+09:00
2011-06-28T09:53:28+09:00
2011-06-13T11:59:06+09:00
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東日本大震災
岬の向こう側は陸前高田の広田湾。
尾根を越え道路が下り坂になった道路脇に「これより先き津波浸水指定地域」の看板がたっていた。更に下り低地になり、陸前高田市入る直前の気仙沼市唐桑町港と竹の袖周辺。何度も見てきた光景で、低地の家は津波に総嘗めにされ高い所は全く被害が無い。]]>
11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡3:気仙沼
http://nisi93.exblog.jp/14940312/
2011-06-12T13:08:00+09:00
2011-06-28T09:52:49+09:00
2011-06-12T13:08:26+09:00
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東日本大震災
若柳から気仙沼市まで車で2時間半。
気仙沼市は中心市街地が高台にあり津波の被害がその部分が少ないだけに救われている。それでも市街地の1/3から1/2の面積は津波を受けている。
港周囲の低地は無惨に津波の被害に遭いまだ瓦礫に覆われている。
他での被害地の瓦礫の整理されたのが、30〜40%と発表されているが、少ない所は、塩竈市の7%。
気仙沼市の被害地はほとんど手が付けられていない。
この家の向かいは港である。左右の鉄骨造に支えられかろうじて建っていられる。
港の周囲の状況。大きな船が津波で陸地まで流されている。]]>
11日 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡2:若柳
http://nisi93.exblog.jp/14940173/
2011-06-12T12:28:00+09:00
2011-06-28T09:52:10+09:00
2011-06-12T12:28:19+09:00
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東日本大震災
高速は混んでいて、東北道は追い越し車線でも込んでいて遅く速度が80kmであった。
若柳の建主は私と同じ年で60歳。50年ほど前に地震で茅葺き屋根の自宅がつぶれ、今回の地震でも作業場の一部が破損している。
母屋はガラスが割れた程度であるが、立て替える。
出来上がっている平面図で建物の位置を現場で確認した。]]>
11日 今朝 若柳、気仙沼、陸前高田、大船渡1
http://nisi93.exblog.jp/14935075/
2011-06-11T14:23:00+09:00
2011-06-28T09:51:20+09:00
2011-06-11T14:30:54+09:00
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東日本大震災
陸前高田。
海側から中心街までの建物は津波に破壊され何も残されて無い。
瓦礫は片付けられている。
コンクリート五階建ての四階まで津波にあっている。
集められた瓦礫の山。
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東日本大震災7:仙台港から多賀城
http://nisi93.exblog.jp/14751358/
2011-05-10T10:42:00+09:00
2011-05-10T11:50:52+09:00
2011-05-10T10:42:46+09:00
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東日本大震災
若林区を見終わり仙台東から高速に乗り仙台港北で降り、仙台港周辺を見る。
その足で多賀城地域の震災を見てから、F邸に伺った。
基礎の人通口の角隅の割れを心配していたが、地震の影響と言うよりはコンクリートの収縮によるヘアークラックと考えた。
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東日本大震災6:母の日 カーネーション育生温室
http://nisi93.exblog.jp/14747230/
2011-05-09T17:46:00+09:00
2011-05-10T10:32:28+09:00
2011-05-09T17:46:33+09:00
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東日本大震災
被災地若林の壊れた育生温室のカーネーションが津波と海水・泥水に負けないで生きていて、カーネーションの花が出荷できたことがテレビのニュースに出ていた。
今朝のブログで若林の被災状況を紹介したが、走り回っている中で、テレビで紹介された温室を見ていた。
写真は撮っていなかったのが残念だ。
温室のガラスがほとんど割れていたが、その中にカーネーションの花のピンク色が広く見えていた。
母の日の出荷に備え,東日本大震災後に新たに買い揃えたものと思っていた。
そこの温室で育ったものだった。]]>
東日本大震災5:仙台市若林
http://nisi93.exblog.jp/14745558/
2011-05-09T11:04:00+09:00
2011-05-10T10:52:39+09:00
2011-05-09T11:04:39+09:00
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東日本大震災
石巻から多賀城に移動し、市立城南小学校の南側にある当方が設計したF邸に行った。午後から伺うとしかアバウトだったので留守だった。
若林の状況を見てからその帰りに寄ろうと考え、震災見舞にと事前連絡はしなかったが、若林のNPO新住協の事務局の会沢さんの自宅に伺った。同じ若林でも会沢さんの家は津波を免れた。
丁度、多賀城のF邸を施工した今野さんも私とほぼ同時についた。偶然である。
会沢さんのお話をしばらく聞き、その後会沢さんが若林の被災地を案内してくれた。
会沢さんは何度も被災地を見て来たが、かなり瓦礫が整理された様を見てその早さに驚いていた。
この一面は瓦礫の山だったと会沢さんから聞いた。
そうした中で車と船は未だ処理がされていなかった。若林の前に見ていた南三陸や石巻や多賀城では瓦礫の整理は未だで、若林では瓦礫がいち早く処理され、復興に向かっているのが知れる。早い、早い。他の地域もこれからは早いのだろう。
若林の状況を見て、復興は大変だが、想像以上に早いと思った。
しかし、福島の原発の悲惨で悲劇な様の甚大な状況がそのままだ。見通しもほとんど立っていない。
新築中の家。夕方の5時に、NPO新住協岐阜支部から大工道具や加工機器を積んだ大型トラックが到着するので、それ対応する会沢さんと別れた。
翌朝に気仙に運ぶ。
被災地の工務店では大工道具が足りなく、これまでも新住協の恵那と名古屋の会員から大工道具が被災地に運ばれている。]]>
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