2007年 02月 11日
読書:「<聖徳太子>の誕生」 |
「<聖徳太子>の誕生」著:大山誠一と「白の民俗学へ」著:前田速夫を読んだ。
前に,読んだ「聖徳太子の真実」編:大山誠一を紹介した。
内容は,「 「聖徳太子は実在しなかった」と主張して大きな反響を呼んだ編者を中心に、歴史学、国語学、宗教学などの気鋭の研究者が関連史料を総点検。太子像の真実とその信仰の謎を解く。」
「聖徳太子の真実」を読むには漢文や知識が無い私は難儀したが,「<聖徳太子>の誕生」は一般向けで、多少は辛さは少ないものの,やはり難儀だ。
大化の改新後の藤原不比等がライバル長屋王と,政権を得るため・保持するための抗争から,皇太子制度とそれをもっともらしくするため聖徳太子像を日本書紀でつくりあげた説。
王制(天皇制)を藤原不比等側にもってきたいが,強引な政略の結果もち上げた王(天皇)は何れも短命であった。
大化の改新以前の王制は政治的にも文化的にも脆弱であったが,中国の律令制度を導入した強度の中央集権をつくりあげ,王(天皇)をかいらいにし,不比等は実権を握りたい。
それに対し政敵の長屋王は,王制(天皇制)の流れに最も近く,子供も多く,次期王(天皇)を輩出しやすかった。
それを牽制するためにそれまではなかった中国の皇太子制度を日本書紀によって歴史上の既成の事実とし,不比等が力があるうちに次期傀儡政権の皇太子までの流れをつくりたかった。
聖徳太子は1500年近くも認知され信仰対象となり、歴史の教科書に出てくるし、お札にもなっているのだから、当然実在の人物と考えてしまうが、改めて、大山誠一の本を読んでみるとそうではないように思える。
しかし、国民の間に長い間太子信仰として定着している。
昨年、国立博物館の「太子信仰展」を見たが、資料はおびただしい量だし、もの凄い見物者であった。聖徳太子はいなかったが太子信仰は現在に生きている。
信仰や宗教はそういったものだろう。
前に,読んだ「聖徳太子の真実」編:大山誠一を紹介した。
内容は,「 「聖徳太子は実在しなかった」と主張して大きな反響を呼んだ編者を中心に、歴史学、国語学、宗教学などの気鋭の研究者が関連史料を総点検。太子像の真実とその信仰の謎を解く。」
「聖徳太子の真実」を読むには漢文や知識が無い私は難儀したが,「<聖徳太子>の誕生」は一般向けで、多少は辛さは少ないものの,やはり難儀だ。
大化の改新後の藤原不比等がライバル長屋王と,政権を得るため・保持するための抗争から,皇太子制度とそれをもっともらしくするため聖徳太子像を日本書紀でつくりあげた説。
王制(天皇制)を藤原不比等側にもってきたいが,強引な政略の結果もち上げた王(天皇)は何れも短命であった。
大化の改新以前の王制は政治的にも文化的にも脆弱であったが,中国の律令制度を導入した強度の中央集権をつくりあげ,王(天皇)をかいらいにし,不比等は実権を握りたい。
それに対し政敵の長屋王は,王制(天皇制)の流れに最も近く,子供も多く,次期王(天皇)を輩出しやすかった。
それを牽制するためにそれまではなかった中国の皇太子制度を日本書紀によって歴史上の既成の事実とし,不比等が力があるうちに次期傀儡政権の皇太子までの流れをつくりたかった。
聖徳太子は1500年近くも認知され信仰対象となり、歴史の教科書に出てくるし、お札にもなっているのだから、当然実在の人物と考えてしまうが、改めて、大山誠一の本を読んでみるとそうではないように思える。
しかし、国民の間に長い間太子信仰として定着している。
昨年、国立博物館の「太子信仰展」を見たが、資料はおびただしい量だし、もの凄い見物者であった。聖徳太子はいなかったが太子信仰は現在に生きている。
信仰や宗教はそういったものだろう。
by nisi93jp
| 2007-02-11 23:57
| 研修・鑑賞・スタディ
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