2012年 04月 13日
倉吉白壁土蔵群の見学5:豊田家住宅 |
HPから転載
豊田家は江戸時代の中頃から呉服屋を営んでいた。
明治に建てられた二階建ての母屋、中庭、二階建ての離れ、坪庭、土蔵、の順に配列された。 間口四間半、奥行き20間の敷地の京風、切り褄、桟瓦の建物。
平成18年に国登録有形文化財に指定される。
東西に通る街路に北面して建つ。切妻造、桟瓦葦、平入、木造2階建で、正面は出桁造とする。 構造は真壁造、正面外壁は鼠漆喰塗とし、2階開口部に手摺を設ける。 倉吉の伝統的な町家形式を保持しており、打吹玉川保存地区に連なる町並み景観を形成している。
土蔵は明和8年(1771) 建立。
倉吉は鉄屋の火事(1750)に遭ったが、その後、玉川を整備し、川沿いに燃えにくい土蔵を配置して、火の出た鍛治町を境に上の広小路を造り、これが防火区画帯であり、下の広小路は成徳小前に、30間の広さであった。 お蔭でその後火事が殆んどなく、古くからの木造の町並みが残っている。
豊田家は江戸時代の中頃から呉服屋を営んでいた。
明治に建てられた二階建ての母屋、中庭、二階建ての離れ、坪庭、土蔵、の順に配列された。 間口四間半、奥行き20間の敷地の京風、切り褄、桟瓦の建物。
平成18年に国登録有形文化財に指定される。
東西に通る街路に北面して建つ。切妻造、桟瓦葦、平入、木造2階建で、正面は出桁造とする。 構造は真壁造、正面外壁は鼠漆喰塗とし、2階開口部に手摺を設ける。 倉吉の伝統的な町家形式を保持しており、打吹玉川保存地区に連なる町並み景観を形成している。
土蔵は明和8年(1771) 建立。
倉吉は鉄屋の火事(1750)に遭ったが、その後、玉川を整備し、川沿いに燃えにくい土蔵を配置して、火の出た鍛治町を境に上の広小路を造り、これが防火区画帯であり、下の広小路は成徳小前に、30間の広さであった。 お蔭でその後火事が殆んどなく、古くからの木造の町並みが残っている。
by nisi93jp
| 2012-04-13 10:04
| 見学建築・歴史・他
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