2011年 02月 05日
白山でグラウビュンデン州の建築家の話題 |
1月29日に東洋大学白山キャンパスでWASS(木と建築で創造する共生社会研究センター)主催の「木の学校づくりシンポジウム 」に発言者として参加した。
シンポジウムは定員を超える200名以上の参加者で盛況だった。
終わってからその場所で懇親会があり、色々な人と話しが弾んだ。
二次会は付近の焼き鳥屋だった。
そこでHさんとスイスのギオン・カミナダや設計した木造の学校など、他、グラウビュンデン州の建築や建築家の話しが弾んだ。
私は1999年に佐々木徳貢さんの案内で、グラウビュンデン州を中心に、渓谷沿いの各地域の小さな町の建築家を訪ね、木造建築と住宅を見せて頂ていた。
P・ズントーの作品は勿論、初期の弟子のウルス・ハスラー、その当時P・ズントーから独立したての古い町ガルダのパドランなど10人前後の建築家と会うことができた。その時に彼らを見て、小さな町の能代でも建築家として成り立つ自信が持てた。
Hさんと話しをしていて、やけにグラウビュンデンに詳しいなと思っていた。
その後、メールが届き、詳しい理由が分かった。
「2004〜2005年にP・ズントーのメンドリシオにある大学の研究室で設計の勉強をし、その後の半年間はソーリョという小さな村に事務所を構え、町医者のように農家の建物、観光施設や公共建築物の設計活動に携わっているアルマンド・ルイネッリ氏のもとで働かせもらった。ズムトー建築だけではなく、グラウブンデン州の地域と建築家の在り方に深く感銘を受け帰ってきました。
ちなみにカミナダ氏は最も敬愛する建築家で毎年1度は彼の家を訪ねています。」
P・ズントーの初期の弟子のウルス・ハスラー(左から2番目)、その右は建築家の奥さん、その右は盛岡の建築家の植田さん、その右は佐々木徳貢さんの友人でハスラーの友人でもある建築家。
ハスラーが設計した家。現在のパッシブハウスの性能をもっている。氷河の谷底なので山に遮られ日射は2時間/日しかないが、その2時間の日射で暖房はいらない。外壁はカラマツの無塗装。
暖房方式や断熱仕様を説明するハスラー。
その当時P・ズントーから独立したてのパドランの設計事務所は、古い町ガルダにある。
古い街並の後ろに改修した設計事務所がある。
パラドンの事務所。 今年か来年にNPO新住協の海外研修が予定されているが、1999年後のミネルギーハウスPなどの省エネ・エコの木造住宅・建築の生産をグラウビュンデン州を中心に地域を見たい。
シンポジウムは定員を超える200名以上の参加者で盛況だった。
終わってからその場所で懇親会があり、色々な人と話しが弾んだ。
二次会は付近の焼き鳥屋だった。
そこでHさんとスイスのギオン・カミナダや設計した木造の学校など、他、グラウビュンデン州の建築や建築家の話しが弾んだ。
私は1999年に佐々木徳貢さんの案内で、グラウビュンデン州を中心に、渓谷沿いの各地域の小さな町の建築家を訪ね、木造建築と住宅を見せて頂ていた。
P・ズントーの作品は勿論、初期の弟子のウルス・ハスラー、その当時P・ズントーから独立したての古い町ガルダのパドランなど10人前後の建築家と会うことができた。その時に彼らを見て、小さな町の能代でも建築家として成り立つ自信が持てた。
Hさんと話しをしていて、やけにグラウビュンデンに詳しいなと思っていた。
その後、メールが届き、詳しい理由が分かった。
「2004〜2005年にP・ズントーのメンドリシオにある大学の研究室で設計の勉強をし、その後の半年間はソーリョという小さな村に事務所を構え、町医者のように農家の建物、観光施設や公共建築物の設計活動に携わっているアルマンド・ルイネッリ氏のもとで働かせもらった。ズムトー建築だけではなく、グラウブンデン州の地域と建築家の在り方に深く感銘を受け帰ってきました。
ちなみにカミナダ氏は最も敬愛する建築家で毎年1度は彼の家を訪ねています。」
P・ズントーの初期の弟子のウルス・ハスラー(左から2番目)、その右は建築家の奥さん、その右は盛岡の建築家の植田さん、その右は佐々木徳貢さんの友人でハスラーの友人でもある建築家。
by nisi93jp
| 2011-02-05 14:23
| 研修・鑑賞・スタディ
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