2010年 02月 17日
「カティンの森」:アンジェイ・ワイダ監督 |
1月に岩波ホールでアンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」見た。
40年も前の学生時代に本を読んでソ連によるポーランド将校15,000人の虐殺を知っていた。その国の戦後復興を果たすべく15,000人もの人材を抹殺し未来を奪うとは恐い。
岩波ホールは企画が良いので日中もほぼ満席だ。
1月と2月は「カティンの森」、「僕の村は戦場だった(」アンドレイ・タルコフスキー)、「だれのものでもないチェレ」(ハンガリー映画)、と続けて戦中や動乱期の内容が重い映画を見た。
岩波ホールHPから転載
第二次世界大戦開戦から70年、東欧民主化から20年、 封印された歴史の真実が明かされる。 巨匠アンジェイ・ワイダが生涯をかけた願い― ついに「カティンの森」が映像に刻まれた。
映画「カティンの森」は、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の数ある作品のうちで、最も重要であり、長らく完成が待たれていた作品である。本作はワイダ監督の両親に捧げられている。ワイダ監督の父親は、第二次世界大戦中の1940年春、「カティンの森」事件で他のポーランド将校とともにソ連軍に虐殺され、母親も夫の帰還の望みが失われていくなかで亡くなった。監督デビュー間もない1950年代半ばに事件の真相を知り、自ら映画化を熱望していたが、冷戦下でタブーとされていたこの事件は、描くことはもとより語ることすら叶わなかった。しかし冷戦の崩壊とともに、少しずつ真実が公にされ始め、事件から70年近くの歳月がたった今日、ついに積年の思いのこもった映画が完成した。
旧ソ連領カティン。その美しく静かな森に、 ポーランドの最も苛酷な時代が秘められている。
ポーランドは1939年9月1日ドイツに、17日ソ連に侵略された。そしてソ連の捕虜になった約15,000人のポーランド人将校が行方不明になる。当初はなぞとされていたが、1943年春、カティンで彼らの数千人の遺体が発見され、事件が明らかになった。ドイツはソ連の仕業としたが、ソ連は否定し、ドイツによる犯罪として糾弾した。 戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでは、カティンについて語ることは厳しく禁じられていたが、1989年秋、ポーランドの雑誌が、虐殺はソ連軍によるものであると、その証拠を掲載。翌1990年、ソ連政府は、内務人民委員部(後のKGB)による犯罪であることを認め、その2年後、ロシアのエリツィン大統領は、スターリンが直接署名した命令書によって行われたことを言明した。
第二次世界大戦下、引き裂かれ、翻弄される家族の運命。 現代への変わることのないメッセージ。
映画は、実際に遺された日記や手紙をもとに、「カティンの森」事件の真実を、捕らえられた将校たちの姿と、彼らの帰還を待つ家族の姿を通して描く。将校たちの、国家への忠誠と、家族への愛の狭間で、引き裂かれる思い。ひとすじの希望をたよりに、耐え忍び、生きる家族たちの、不安と恐怖。 夫の帰還を信じる妻、父を思う娘、真実を叫び続けることで、兄の死に報いようとする妹…。幾重にも語られる人々の運命は、戦争によって翻弄され、互いに交錯し、交わりあう。そしてラストシーンで明かされる真実の衝撃――。 70年の歳月を経ても、「事件」の傷は決して癒えてはいない。それは過去のことではない。現代に生きる私たちに、変わることなく鋭く重いメッセージを発している。
40年も前の学生時代に本を読んでソ連によるポーランド将校15,000人の虐殺を知っていた。その国の戦後復興を果たすべく15,000人もの人材を抹殺し未来を奪うとは恐い。
岩波ホールは企画が良いので日中もほぼ満席だ。
1月と2月は「カティンの森」、「僕の村は戦場だった(」アンドレイ・タルコフスキー)、「だれのものでもないチェレ」(ハンガリー映画)、と続けて戦中や動乱期の内容が重い映画を見た。
岩波ホールHPから転載
第二次世界大戦開戦から70年、東欧民主化から20年、 封印された歴史の真実が明かされる。 巨匠アンジェイ・ワイダが生涯をかけた願い― ついに「カティンの森」が映像に刻まれた。
映画「カティンの森」は、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の数ある作品のうちで、最も重要であり、長らく完成が待たれていた作品である。本作はワイダ監督の両親に捧げられている。ワイダ監督の父親は、第二次世界大戦中の1940年春、「カティンの森」事件で他のポーランド将校とともにソ連軍に虐殺され、母親も夫の帰還の望みが失われていくなかで亡くなった。監督デビュー間もない1950年代半ばに事件の真相を知り、自ら映画化を熱望していたが、冷戦下でタブーとされていたこの事件は、描くことはもとより語ることすら叶わなかった。しかし冷戦の崩壊とともに、少しずつ真実が公にされ始め、事件から70年近くの歳月がたった今日、ついに積年の思いのこもった映画が完成した。
旧ソ連領カティン。その美しく静かな森に、 ポーランドの最も苛酷な時代が秘められている。
ポーランドは1939年9月1日ドイツに、17日ソ連に侵略された。そしてソ連の捕虜になった約15,000人のポーランド人将校が行方不明になる。当初はなぞとされていたが、1943年春、カティンで彼らの数千人の遺体が発見され、事件が明らかになった。ドイツはソ連の仕業としたが、ソ連は否定し、ドイツによる犯罪として糾弾した。 戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでは、カティンについて語ることは厳しく禁じられていたが、1989年秋、ポーランドの雑誌が、虐殺はソ連軍によるものであると、その証拠を掲載。翌1990年、ソ連政府は、内務人民委員部(後のKGB)による犯罪であることを認め、その2年後、ロシアのエリツィン大統領は、スターリンが直接署名した命令書によって行われたことを言明した。
第二次世界大戦下、引き裂かれ、翻弄される家族の運命。 現代への変わることのないメッセージ。
映画は、実際に遺された日記や手紙をもとに、「カティンの森」事件の真実を、捕らえられた将校たちの姿と、彼らの帰還を待つ家族の姿を通して描く。将校たちの、国家への忠誠と、家族への愛の狭間で、引き裂かれる思い。ひとすじの希望をたよりに、耐え忍び、生きる家族たちの、不安と恐怖。 夫の帰還を信じる妻、父を思う娘、真実を叫び続けることで、兄の死に報いようとする妹…。幾重にも語られる人々の運命は、戦争によって翻弄され、互いに交錯し、交わりあう。そしてラストシーンで明かされる真実の衝撃――。 70年の歳月を経ても、「事件」の傷は決して癒えてはいない。それは過去のことではない。現代に生きる私たちに、変わることなく鋭く重いメッセージを発している。
by nisi93jp
| 2010-02-17 11:32
| 研修・鑑賞・スタディ
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